「富士ニュース」平成21年11月25日(火)掲載

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Meiso Jouki

 私は、以前勤めていた職場を辞めるとき、こう挨拶しました。

「私は仏教が大好きです。人が幸せに生きるための教えだからです。お坊さんはこの教えを伝えることが仕事なのですから、こんなにありがたいことはありません。それに仏教はどこまで学んでも終わりがありません。和尚という職業も定年退職はありません。むしろ老僧になればそれだけ徳を積んだとありがたがられるくらいです。(笑)死ぬまでずっと、ブレることなく信じ続けられる道をこれから進めるのは、この上ない幸せだと思っています」。
 退職して二十年近く経った今も、その思いは変わりません。というよりむしろ、より一層強くなっているようにさえ感じます。それは世の中の変動が大きければ大きいほど強まります。

このたび日本は政権が交代し、政治の根幹が入れ替わることにより、ダムや道路建設にストップがかかったり、各種事業が見直しになったり…これまでの流れが大きく変わりつつあるようです。
 どれも専門家の高い見識の上で判断され進められていることですから、その是非を私が論じることはありませんが、ただひとつ感じているのは、これまで正しいと信じてきたことがブレるのは、当事者の方たちにとっては辛いだろうなぁということです。
 お釈迦さまの教えは、二千五百年にわたって伝え続けられてきました。もちろん、その間に仏教にはさまざまな宗派ができましたが、それはお釈迦さまの教えのどの部分を大切に思うかの違いで、根幹を揺るがすようなブレはありません。
 二千五百年、ブレない教え。揺るがない教え。そして日本人の心の支えとなってきた教えです。
 最近、「仏教離れ」が進んでいると言われます。確かに、営利本位の寺院経営や、モラルや金銭感覚のずれた一部の僧侶への冷ややかな視線から、「寺離れ」が進んでいることは否めないところです。
 でも、本当に日本人は仏教を必要としなくなったのでしょうか?
 私はそうは思いません。
なぜなら、お釈迦さまがまず最初に見抜かれたとおり「この世は苦しみである」ことに変わりはないからです。そしてこの世の苦しみの中で、それでもどう幸せに生きていったらいいかを、言葉を尽くして、これほど親切に教えてくれている仏教が不必要であるはずはないからです。
 それは、仏教に親しめば親しむほどわかることです。だから私は、もっともっと仏教に親しんでいただきたいという切なる願いのもと、この随筆も続け、また法話会も開き続けています。

 仏教は『生きる智慧の無限の宝庫』だといいます。この蔵の中から、一つ一つみなさんに「宝の教え」を届けさせていただくのが、和尚としての私の使命であり、責任なのです。
 心配はいりません。みなさんにいくら景気よく宝を差し上げても、教えは無限です。無くなることはありません。
 少し早いですが、年の瀬の贈り物です。どうか、一つでも多く受け取っていただきたいと思います。

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明窓浄机

贈 り 物

文・絵 長島宗深