「富士ニュース」平成21年9月29(火)掲載
第133話
Meiso Jouki
■ 『人の一生は、お天道様と握飯を負うて風光佳なる処に遊ぶが如し』という、先人の名言があります。
私たちの人生は、必要なものすべてをタダで与えられて、風光明媚な大自然の中で楽しませてもらっているようなものだ、という教えです。
お日さま、水、空気、大地…生きるのに最低限必要なものは、どれもみんなタダで与えられています。確かに水道料は払いますが、それは水質を管理し家まで水を届けてくれることに対しての料金で、川でも泉でも海でも、水そのものはタダです。
■ 食べ物もそうです。私たちに食べられていく生き物に対してお金を払っているわけではありません。食べ物をとったり収穫したり調理したり売ったりする「人」にお金を払っているだけです。お米や魚にお金を払ってはいません。私たちはたくさんの食べ物の命を、タダでプレゼント(お布施)してもらって、毎日生活しています。
こうして、私たちが生きる上でなくてはならない大切なものは、みんなタダでいただいているのです。
言うまでもなく、私たちが何よりも大事にしているこの自分の命も、親からタダでいただいたもの。こうした「大きな幸せ」ほど気がつきにくく、また忘れがちなものなのです。
それだけではありません。ささやかなことかもしれませんが、私たち情緒豊かな日本人は、タダの自然の恵みにどれほど心和まされ、いやされてきたか。
草花の可憐さを見て心うるおすのもタダ。
鳥のさえずりや虫の声を聞くのもタダ。
心地よい涼風もタダ。
満天の星に圧倒されるのもタダ。ドラマチックな日没の光景も、夕焼けもタダ。虹を見るのもタダ。お花見も紅葉狩りもタダ…
私たちは毎日、こんなにもたくさんのタダの恵みによって生かされていることを、ときには、一つ一つていねいに、そして謙虚に思い起こす必要があるのではないでしょうか。そして、いのちあるものも、またそうでないものも含め、周りのすべてのこうしたご縁に対し、誠実に関わっていこうとする心にめざめる必要があるのではないでしょうか。
■ もちろん、これらすべての恵みを「そんなことあたりまえ」のひと言で片付けてしまうこともできるでしょう。でもそうせずにむしろ「あぁ、ありがたいことだなぁ」と、どんな些細なことにもていねいに感謝していける心にこそ、本当に豊かな幸せが宿るように思えてならないのです。
冒頭の言葉には続きがあります。
『…人に喜んでもらうことを以てのみ己を生かす道と知るべし』
こんなに与えられっぱなしの私たちが心すべきことは、慈悲の心をまわりに振り向けることしかない、という意味でしょう。思い上がりの心を慎み、いつでもどこでも、誰にでも何にでも、お返しさせていただきたいという「恩返し」の生き方を、常に心がけていきたいものです。
恵 み
文・絵 長島宗深