「富士ニュース」平成19年8月 7日(火)掲載
第105話
Meiso Jouki
■ 新緑の境内で庭掃きをしているときのこと。
今ふうのスタイルの若者が遠慮がちに近づいてきて、私に尋ねました。
「あのう…ちょっと聞いてもいいっすか? 今日とかってフツーにお墓参りなんかしちゃってもいいんすかね?」
(なんだかおかしな日本語だなぁ)と思いつつも、精一杯の誠意をにじませて話す彼に答えました。
「うん。もちろん大丈夫だよ。どうしたの?」
「あ、よかった。オレ、お彼岸、仕事で来れなかったから、ぜんぜん遅くなっちゃったけど、じいちゃんの墓参りしようと思って」
「それは、いい心がけだね。お墓参りは、いつしてもいいんだよ。おじいちゃん、きっと喜ぶよ」
■ それを聞いて安心したのでしょう。ぺこりと一礼するや、小さな花束を片手に、うれしそうに坂を登っていった青年の背中を見守りながら、私は、いつか境内に設置しようと考えている十箇条の案内を思い浮かべました。
どなたの創案か、『お墓参り十箇条のすすめ』という名文があるのです。
一、忌日命日に参るべし
一、元旦・お盆・春秋彼 岸・暮れには参るべし
一、近くに来たら参るべ し
一、誘われて参るべし
一、夢を見たら参るべし
一、憂いあらば参るべし
一、望み失わば参るべし
一、苦痛あらば参るべし
一、喜び悲しみあらば参 るべし
一、感謝と報恩の誓いの ために参るべし
※ ※
■ 近年、お墓のあり方が何かと話題になっています。散骨・樹木葬・骨仏・宇宙葬、夫婦墓・個人墓…形態から方法まで、さまざまにマスコミで取り上げられています。
どんなまつり方を選ぶかは、法律にそった方法の範囲内であれば、個々の考えに委ねられるのが現状ですが、お墓をまつることの意義を私はこんなふうに考えています。
先輩和尚から、こんなお話をうかがいました。
十三年前に奥さんを亡くされたおじいさんのお話です。そのお宅は、比較的お寺の近所だということもあったのですが、葬儀後、おじいさんは、毎日毎日、欠かさずに、おばあさんのお墓参りを続けられたというのです。
その姿を幾度となく垣間見られた和尚さんは、
「お天気のいい日には、にこにこしてお墓に来ては、お水を替え、お線香を立ててお参りするおじいさんの姿が微笑(ほほえ)ましく思え、また、雨の日には合羽(かっぱ)を着てずぶぬれになりながらも、お墓の前でしゃがみこんで手を合わせているおじいさんのお姿が、なんともせつなく思えました」
と。
■親愛なる人のお墓の前で祈らずにはおれない、花をたむけ語りかけずにはいられないという、人間性の確かな真実もあるのです。
亡き人を通して自らと向き合うお墓というものは、私たちの心のよりどころなのではではないでしょうか。
お墓参り
文・絵 長島宗深