「富士ニュース」平成17年3月15日(火)掲載
第74話
Meiso Jouki
■ 以前にもふれたことがありますが、九年前の三月、私は家族に寺を託して、一年間、禅の道場で修行するという道を選択しました。
■ 朝、六時半。…雨。
道場の山門下到着。
同行してくださった二人の壇徒総代さんと別れ、そこからはいよいよ一人で参道を登ります。
杉の大木が鬱蒼とおおいかぶさる中、吸い込まれるように続く一本の石畳の参道を進むうちに、これから始まるであろう未知の修行生活への不安が重くのしかかってきました。
ゆるやかな石畳の坂道を、一歩一歩、まるでためらうかのような重い足どりが続きます。
(まだ、今なら引き返せる…)
ふと立ち止まり、梢から落ちてくる雨を顔に受け、空を見上げてみます。
(本当に来てしまった。この先、何とかなるのだろうか。留守を任せた寺は大丈夫だろうか。家族は、子どもたちは大丈夫だろうか…。私自身、厳しい修行に耐えられるのだろうか)
■ なにを今さら?と自分でも意外なほど、次々に不安が湧いてきて弱気になった私は、どうしても前に進めなくなり、偶然目についた墓苑の中の四阿に駆け込みました。
わずか数分歩いただけなのに、笠も、黒い雲水合羽もびしょ濡れです。付け慣れない脚絆は早くもずり落ち、ぐしゃぐしゃに水を吸い込んだ草鞋は素足に容赦なく冷たさを伝えます。
(ふーっ)
大きくため息をつくと、私は首にかけていた荷物を降ろしました。
首がびりびり痛みます。何しろ、衣類・経本・食器・剃刀など、当座の生活必需品をすべて首から下げ、それを両腕で抱えていたからです。道場を訪れる者は「袈裟文庫」という荷物をこうして抱え、入門を請うのです。
■ 寒さの中、何とも吹っ切れない思いで雨宿りをすること二十分。
やがて、ふっと空が明るくなり、雨が上がりました。あたりを見回すと、森の木々の中の靄がゆっくりと、ゆっくりと漂っていきます。「神韻縹渺」とは、こんなさまをいうのでしょうか。靄が動くその奥に木々が見え隠れする風景を吸い込まれるように眺めていた私は、いつしか心の中の靄までも動いていくような不思議な心の移り変わりを感じていました。
自分の心の中が次第にすっきりと整理され、どこからか力が湧いてくる心地よささえ味わっていたのです。今思えばこれが、修行の山特有の「気」…霊気、というものだったのかもしれません。
■(さあ。行こう)
気を取り直した私は、不要になった雨合羽をたたんで荷物の上に乗せると、脚絆をつけなおし、大きく伸びをして(よし!)と気合いを入れ、再び袈裟文庫を首にかけて、出発です。
もう、迷いはありません。一年間、ここでがんばる。それが、私たちが選んだ道だ。
物音ひとつない参道を踏みしめてしばし進めば、道場の玄関はもう間近。そこにはまず第一の関門、玄関での三日間の座り込み修行、「庭詰」が待っているのです。
袈裟文庫(けさぶんこ)