「富士ニュース」平成15年11月5日(水)掲載
第56話
Meiso Jouki
■「そろそろ『子ども坐禅会』を終わりにしようか…。家の子もみんな大きくなって、誰も小学生がいなくなっちゃったから、小学生の様子も分からないし…」
■ 毎月一度、小学生を対象に開いてきた「子ども坐禅会」は、夫婦二人三脚で取り組んできた行事です。
始めてからちょうどまる十年を迎える十一月を機に、ひと区切りをつけようと、春ごろから相談していた私たちでした。
■ そんな思いの中での、ある月の坐禅会でのことです。
私は急用で留守でした。もう長いこと続けてきたこの行事は、寺庭さん(家内)一人でも、いつも通りに開くことができます。
この日、十五分間の坐禅を終えた後で、寺庭さんは初参加の男の子に感想を求めたそうです。
「どうだった?」
すると、
「すーっとした。いっぱい寝て起きたあとみたいに、すっきりした気分」
なかなか聞けない言葉です。(ちょっと落ち着きがない子だからよろしく)、と親御さんから聞いていただけに、思いがけない言葉でした。
その子が逆に尋ねてきます。
「ねえねえ、この柱の字、なんて書いてあるの?」
本堂正面の柱に掲げてある板(聯)の文字です。
「諸悪莫作 衆善奉行。いいことをなるべくしよう。悪いことはやめよう、っていう意味だよ」
少年は、大人っぽく腕を組んで考え込みます。
「それが…なかなかできないんだよなぁ」
「そうだねぇ。おばちゃんも、なかなかできないよ」
「そんなことないよ! おばちゃんやってるじゃん。ぼくらに坐禅会、やってくれたじゃん。あ、このお兄ちゃんも、いいことやってくれたよ。トイレの場所を教えてくれたし、お経の本の持ち方も、ちゃんと教えてくれたよ」
ふいをつかれた返答でした。
幼いこの子が、周りの人に対してこんなまなざしを持っていたなんて。そして、いいものはいいと素直に認めてあげる心を持っていたなんて…
(なんてこと言ってくれるんだろう)と、寺庭さんはいたく感動し、私に伝えてくれたのでした。
■ この十年。
坐禅会のおかげで、子どもたちの喜ぶ顔をたくさん見せてもらいました。坐禅に挑戦する真剣な姿を見せてもらいました。小さな手を合わせる美しい合掌に何度も心洗われました。寺に子どもが集まり、歓声が上がり、若いエネルギーがあふれました。つたない法話に目を輝かせてくれる姿に、仏教って、仏さまの教えっていいなぁ、と何度も法悦を味わわせていただきました。
思えばそんな積み重ねの十年でした
「もう少し、続けてみようか、坐禅会…」
「そうだね。できるところまで、やってみようか。みんなへの恩返しだね」
その晩、どちらが言い出すともなくつぶやかれた言葉。次なる一歩への小さな決意でした。
どこまで続くか。
■ 第三土曜日の午後、私たちは子どもたちの真っ直ぐな心に向き合わせていただきます。
子ども坐禅会