はくいんぜんじ
●白隠禅師と妙善寺●
江戸時代の臨済宗中興の祖といわれる白隠禅師は妙善寺の板嶺周痩首座、及梵忠和尚と親交が厚く、しばらく滞在したことがあり、殊にこの寺の風呂がお気に入りで、わざわざ他の宿所から入浴のために通われたともいいます。
@白隠禅師の日新の銘『禅関策進』
禅師七十八歳の時、妙善寺の弟子仙丹慧修の所でこの書を手にして喜ぶくだりは、
「この程滝川妙善寺に罷りあり候うち、京都の本屋小川源兵衛方より原宿松蔭寺迄『禅関策進』の再版二十巻参り候よしにて、滝川まで二通り持ちつかわされ申候。老夫も存じよらざる御事故、委細相たづね申候所に、……… 委細承知驚き入り、覚へず老涙を滴して、再三推しいただき、手の舞い足の踏む事も忘れ、歓喜いたし候。子細はこの書物の儀は、老僧若年の時、至極ありがたき霊験これあり、上もなき法恩に預かり、師匠とも父母とも守本尊とも、比類なき大切の書籍と存じ、行脚の内、片時も身を離さず大切に所持仕り候」(白隠書簡)
A観音堂扁額
「常念閣」落款 沙羅沙双樹下老衲白隠慧鶴
B丸 額
少不勤苦老必艱辛 少能服労老必安逸
享保十四小春
少にして勤苦せざれば老いて必ず艱辛す
少にして能く労に服せば老いて必ず安逸ならん